人間はガジェットではない (ハヤカワ新書juice) ジャロン ラニアー著 早川書房
少し前にツイッターのフォロアーさんの1人からこんな問いをもらいました。
「セカンドライフの場合かなりの労力をつぎこまないと匿名のパーソナリティが得られず、
そのパーソナリティに大きな価値がある点が異なるのだろう」
何と異なるかというと、
「スラッシュドットにコメントする人々やウィキペディアで編集合戦をする人々とくらべると」
とのこと。
これに解説してほしい、と。
私ははて、そんな気の聞いたことつぶやいたっけ?と思いつつ、
セカンドライフで今も遊び続けている者として、
SL(セカンドライフ)の持つであろう匿名のパーソナリティの特徴を挙げました。
あとで話を聞くと、この一説はとある本からのものと判りました。
宇宙人にさらわれて記憶を操作されたのではないとちょっと安心しつつ、
その本が気になりました。
私の信条の1つに『新鮮な楽しさは常に自分の外にある』というものがあります。
もともと、マニア的にじっくりと1つのことに根掘り葉掘り取り掛かるのが好きな性分ですが、
その手の方式で行くと世界がどんどん狭くなります。
そんなとき、昔からやっていたのは本やメディアのジャケ買い。
特に友人たちの話題になったことからその情報を調べてみるというものでした。
そうすると、また新しい面白いことと出会うのです。
これは久しぶりに良い機会だと、
(ツイッターからは以前も面白い本と出会えました)
その本を購入して読んでみることに。
新書なんて久しぶりだな~
私の新書のイメージとは内容は薄く読みやすい分、簡潔に構成されていて
新しい情報の入り口になりやすいというものでした。
この新書、値段や厚みが並みの(新書の)倍はありました。
内容もまぁ・・・難しい。
泣く子も黙って革命すら支援してしまう今のネット世界やそれをとりまく環境への
「おいおい、偏りすぎとちゃうの、それ」と意見するという話。
著者はバーチャルリアリティという言葉と概念の生みの親で、
非常に博学なのが判りました。
と、同時に私のような門外漢にも自分の言いたい事を丁寧に何度も戻っては
概約を提示しながら書き進める姿勢に安心を憶えて読み進めました。
私の関心としてはフォロアーさんに問いかけられこと、
①セカンドライフの匿名のパーソナリティとは何ぞや、と
②スラッシュドットのコメントやWikiの編集合戦と何を比べているのか。
あとは、③この著者が言いたい事、テーマはなんだろ、でした。
①に関しては本編のテーマではないのでネタバレにならない(と思う)
先の引用箇所はネットの世界に絡む負の部分、著者の言葉を借りるならば
「幼児成熟」の影の部分である「匿名の悪意」についてのくだりでした。
著者はそれを『トロール』と呼称していました。
②はまさにトロールのことを言っています。
で、①は「幼児成熟」の光の部分に通じるものでした。
セカンドライフの匿名のパーソナリティというのは、
SLを知らない人や「終わった」と信ずる人には判りにくいものですが、
著者の本文から推論をすると
「簡単にできない創作活動とコミュニティ」なのかな、と察します。
要するに引用部分の内容はトロールとその生態・居場所について語り、
セカンドライフはトロールが生育しずらい世界の例で取り上げられたものでした。
・・・悪口でなくてほっとしましたw
③に関してはネタバレ以前に本文の中で繰り返し繰り返し章の終わりにまとめているので、
それは読んでのお楽しみ、としていただこうか、と思います。
私は内容はともかくも著者の二元論や全体主義にとらわれないバランス感覚、
慣用の奨めのような考え方にいたく感心いたしました。
本文ではある現代の主流になりつつある考え方について意義を申し立てて、
異なる価値観を提示しています。
でも、その攻撃している考え方も「考え方の1つ」として認識し、
それを使うことでの利点も挙げています。
私は不寛容が主流になってゆく当節の世界にあきれ果てて、
「天邪鬼」を自称して寛容の道を探しているので
「否定せず受け入れ、使うこともいとわない」姿勢がかっこよかったです。
テーマに関してはきっと異論も多数あると思いますが、
私は「可能性はあります」という意見ですw
現代のネットサービスを客観視してみるには面白い本です。